早稲田大学 産業経営研究所 共催フォーラム レポート

2025年1月19日、早稲田大学国際会議場 井深大記念ホールにて「日本におけるパブリックリレーションズ(以下PR)の歴史と今後の展望」が開催されました。この早稲田大学産業経営研究所主催のフォーラムは、(公社)日本パブリックリレーションズ協会が共催し、電通PRコンサルティングの協力により実現したものです。司会・コーディネーターは、早稲田大学商学学術院 嶋村和恵教授と石井裕明准教授が担当されました。2回にわたり、4名の登壇者の発表をかいつまんでご紹介します。
「日本のPRの現状と課題」
(公社)日本パブリックリレーションズ協会 常務理事 林 直樹 氏
冒頭に「過去を正しく見つめることで、より良い未来を描くことができる」というウィンストン・チャーチルの思想を提示。
日本におけるPRの歴史を振り返り、その本来の意味と現在の課題について議論したセッションでした。これは、本企画の全体的なテーマでもあります。
戦後、PRはGHQにより、情報公開と対話による民主主義の推進を目的として本格的に国内に導入されました。その後電通をはじめとした民間による普及活動が進み、「PR」という略称自体は浸透しました。

一方で現在では、「宣伝」「広告」「プロモーション」といった限定的な意味で理解される傾向もみられます。
PRとは本来、双方向のコミュニケーションを通じて組織が社会との間に良好な関係性を築く経営機能です。SNSが発達し、企業に社会的存在意義が求められている現在、その重要性は改めて注目されています。セッションの最後には、「10年後のPR」をテーマとしたワークショップの映像が上映されました。参加者が生き生きと議論し、未来に向けてPRプロフェッショナルとしての視座を共有する様子が印象的でした。
「忘れられたPRの原点」
國學院大學 准教授 河 炅珍 氏

経済紙の巻頭特集に取り上げられ、新刊書籍が増加するなど、昨今PRの言説が増えています。アール&ローラ・ライズの著書『ブランドは広告でつくれない』は2002年の刊行当時に注目を集めましたが、PRは20年経った現在も既存のマーケティングや広告施策と異なる何か新しいものを期待されています。一方で、ステマ問題や政治における活用の中で、批判の対象となっている側面もあります。はたしてPRの流行は新しい現象なのでしょうか?
歴史的にみると、PRはパラダイムシフトが起きている社会で爆発的に発展しています。たとえば19世紀末から20世紀初頭のアメリカです。当時は巨大な産業組織が生まれ、鉄道や電力などインフラの構築を通して巨額の富を築き、人々の生活に大きな影響を与えました。また、大衆メディアが流行して多くの新聞や雑誌が生まれ、世論が活発になったのもこのころです。経営者や資本家たちには、労働者、消費・利用者、株主といった他者と対峙し、よい関係を築いていく必要がでてきました。事業を発展させるため、メディアに対して自社の努力に対する理解を促し、報道を通じて好意的な世論を形成することが重要になったのです。
日本では戦後がひとつの原点となります。GHQ(連合国軍最高司令部)は行政コミュニケーションの機能として各都道府県にPRオフィスの設置を命じ、CIE(民間情報教育局)がその理念や手法等について教育を担いました。そして占領下における経済民主化の動きや労働組合活動の活性化を受けて、日経連・経済同友会・証券業界・広告業界など経済組織も自発的にPRに取り組んでいます。人事・労務管理や株主との関係づくりといった施策が導入され、また経営者自身が自己分析や自己修正を行うための思想の柱としてPRが位置づけられました。こうして、戦後の復興と共に、アメリカの民主主義や現代経営を実行する概念技術として国内でPRが推進され、1950年代には黄金時代を迎えました。組織はPRを通じて、他者の承認を求め、社会的な存在になろうとしたのです。
しかしその後、組織のコミュニケーションは「直ちに商品が売れなければ困る」「広告主の要望に応える」といったプロモーション的な形にシフトします。環境問題や貿易摩擦が起こった時期には再びPRが注目されましたが、広告やマーケティングからの本格的な転換が起こったのは「失われた30年」が始まったころからです。こういった歴史の循環をふまえるに、現在PRの関心が高まっているのは必然的なものではないかと思います。冒頭にPRが新しい存在として語られ続けていることに触れましたが、その新しさをつかむためにはやはり過去や原点を丁寧にたどることが欠かせないのではないでしょうか。
文責:井之上パブリックリレーションズ 塚田 真己
(日本パブリックリレーションズ協会 広報委員)