世界へ広がるクレパス!その歴史とは

 

株式会社サクラクレパス
営業本部マーケティング部
広報 井上さゆり

株式会社サクラクレパス(以下:サクラクレパス)は、1921年(大正11年)に創業、2021年に100周年を迎える会社です。代表的な商品には、1925年発売の「クレパス」、絵の具の「マット水彩」(1950年)、名前書きペン「マイネーム」(1969年)、そして「クーピーペンシル」(1973年)といったものがあります。ここでは、そんなサクラクレパスという会社のはじまりとも言える「クレパス」についてご紹介をしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

■明治・大正時代の図画教育画材
大正時代、子どもたちは小学校の図画の時間に、低学年は色鉛筆で、高学年になると水彩絵の具で彩色をしていました。しかし、それらはほんのりと色が着く程度の色彩の乏しいものでした。当時の色鉛筆は、粗悪で折れやすく色数も少ない、そして硬くて画用紙への色着きが悪いものばかりで、水彩絵の具も同様で、色は薄づきで鮮やかさに欠けるものでした。

■クレヨンと自由画教育
当時、子どもたちの絵から精彩を欠かせていたのは、“臨画教育”という指導法によるものでもありました。“臨画教育”というのは、臨本といわれる教科書を使って大人が描いた絵を手本にし、そのまま写し取るという教育でした。こうした指導法に異を唱え、臨画をやめて「自然の活きた色に目を開いて、感じたままを自由にのびのびと写生させなさい。」と提唱したのが、自由画教育の推進者であった山本鼎でした。
日本全体の文化レベルを上げなければならないという彼の信念というものは、子どもたちに自由にのびのびと絵を描かせることでしたが、そのための適切な描画材料がありませんでした。その当時、ようやくアメリカから「クレヨン」が輸入されはじめていました。「クレヨン」は削る手間もなく、色着きも鮮やかさも色鉛筆に比べて格段に良かったため、自由画にうってつけの描画材料として注目されました。しかし、舶来物の「クレヨン」は高価であったため、学校教材として使用できたのは、一部の先進的な教育を先取りする付属小学校や、革新的教育の実践者がいる私立学校などに限られていました。

■クレパスの開発
1921年頃には、「クレヨン」を製造する業者が相次いで登場しました。サクラクレパスも同時期に「クレヨン」の製造を開始しましたが、当初の「クレヨン」は硬くて滑りやすく、色着きも悪かったため、表現にも限界がありました。
「クレヨン」と同じ棒状絵具に、「パステル」という描画材料があります。「パステル」は軟らかいので、画用紙の上で混色して色をつくることができるという長所があります。しかし、「クレヨン」のように色が紙の上に定着しないため、定着液を吹き付けるという後処理が必要となり、子どもたちにとって扱いやすいものではありませんでした。そこで、「クレヨン」と「パステル」のそれぞれの長所を兼ね備えた描画材料を開発しました。それが1925年に世界初の描画材料として誕生した「クレパス」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在では子ども用だけでなく、プロの画家用クレパスも販売されています。世界では60カ国以上へ輸出され、世界中の子どもから大人まで愛用される商品となりました。
大正、昭和そして平成と有難いことに多くの方々に愛されてきた「クレパス」ですが、新しくはじまった令和の時代も「こころ」のある「色」を通じて、教育・文化に貢献し、皆さまの彩り豊かな生活に寄り添って参りたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

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