平成最後の城「尼崎城」

伴ピーアール株式会社
伴 陽介

 

今や日本では外国人観光客を見ない日はないと言っていいほどインバウンドの成功がすさまじい。大阪・道頓堀界隈のミナミでは、昼間だと8割以上は外国人観光客でにぎわっている。
ここ5年前までは、東京、大阪、京都などの大型都市に集まっていた観光客も今では様々な地方にも足を運んでいる。私の生まれ育った尼崎もその一つである。大阪に隣接する尼崎は大阪市内へ電車で10分、神戸や京都に行くのも比較的近く、伊丹空港も近い。交通の便利さから尼崎を拠点に置き観光している人が増えている。しかし、地元尼崎での観光となるとそこまでの集客力はまだない。
 尼崎市といえばタレントのダウンタウンの出身地とのことから、全国でも尼崎というだけで直ぐに分かっていただけるほど有名な地名だ。「忍たま乱太郎」でおなじみの尼子騒兵衛も尼崎出身である。しかし、尼崎に対しての印象を聞いてみると、治安が悪いや一昔前までの空気が悪い公害の町といった印象もいまだにあり、お笑い番組での尼崎の取り上げ方も面白おかしく取り上げられていることが多いため、あまり良い印象は耳に入ってこない。その一方で「関西住みやすいランキング」1位に選ばれるほど、あこがれの街になりつつある。
 その尼崎が平成最後の城として「尼崎城」を復元した。1873年に廃城令により、尼崎城が取り壊されてから145年の時を経て天守閣が再建された。

当時の尼崎藩は須磨までの領地を治めていて、大坂夏の陣の後、江戸幕府は大阪を直轄地とし西国の支配の拠点とするために元和3年(1617)、譜代大名の戸田氏鉄に西の守りのため尼崎城を築城させた。甲子園球場の3.5倍にも相当する3重の堀、4層の天守を持つ広大な城として数年の歳月をかけて築城された。大物川と庄下川が大阪湾に注ぐデルタ地帯に築かれ、尼崎城に直接、船
を横付けできたことから、海に浮かんだような城だったといわれている。幕府は一国一城令により各地の城郭を破却する政策を推し進める一方で、尼崎には5万石の大名の居城としては大きすぎる城を造らせたことから、いかに尼崎を重要視していたことが分かってくる。

この天守復元計画は旧ミドリ電化の創業者、安保詮氏が約10億円の私財を「お世話になった尼崎に恩返しがしたい」という思いから、尼崎城の天守を再建して尼崎市に寄付するために動き出した。2016年12月着工、2018年10月に竣工し、今年2019年3月末から一般公開が始まる。
  やはり、日本での観光スポットとしてお城は非常に人気の場所であるため、この尼崎城の復元は尼崎にとっても大きなことで観光客を呼び寄せるパワーを秘めている。阪神尼崎駅から徒歩10分ほどの所に建っているため非常に行きやすく、付近には寺町も残っている。近くにある三和商店街は全国的にみてもとても活気があり、食事や買い物にも適しているため観光しやすいコースになっている。
 昔は大阪の街からも見えていたという尼崎城。豊臣秀吉も新しい観光スポットに目を細めているのではー。

現在の尼崎城

摂津時代 尼崎全体図

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