「正露丸」ラッパと共に100年の歩み

大幸薬品株式会社 

広報部マネージャー 高梨 寿

 

大幸薬品の「ラッパのマーク」。
「ラッパのマーク」といえば、当社の胃腸薬「正露丸」を思い浮かべていただけるかと思います。今回、「ラッパのマーク」と「正露丸」の関係、その登場の時代背景についてご紹介させていただきます。

 

当社「正露丸」は、さかのぼると大阪の薬商「中島佐一薬房」が、1902年(明治35年)頃に発売した「忠勇征露丸」にたどり着きます。主成分はブナやマツなどの原木を乾留して得られる天然の生薬で、1830年頃にドイツで精製に成功し、日本では1880年頃に「軍薬」として活用されていました。この頃のパッケージには、地球儀に描かれた「誠」の字と、軍隊で食事時に鳴らすそれをイメージしたラッパ(正面右下)が描かれており、当時の時代背景が窺えます。

第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)に、現会長及び社長の祖父である柴田音治郎が、中島佐一薬房から「忠勇征露丸」の製造販売権を継承し、大阪府吹田市にて大幸薬品を創業しました。その後、1949年(昭和24年)に軍事色の強い「征」の字を「正」にして、「中島正露丸」へと名称変更しました。さらに1954年(昭和29年)には「正露丸」の名称に変更しています。

 

 

1951年(昭和26年)、放送を開始したばかりのラジオでは、お馴染みの「ラッパのメロディ」を使用した初のラジオCMが放送されました。このCM放送により、「ラッパのメロディ」は広く世の中に知られるようになりました。1969年(昭和44年)に「誠」の文字に変えて、サブデザインであったラッパをメインに据えて使用したのが「ラッパのマーク」の始まりです。

1972年(昭和47年)には、ほぼ現在の形になりました。
「ラッパのマーク」の視覚的イメージに、「ラッパのメロディ」の音声イメージが加わることで、新聞からテレビ、ラジオと幅広い媒体で、大幸薬品の「正露丸」を容易に想起いただけます。

このように「正露丸」はラッパと共に、100年という長い歴史を歩んでまいりました。今では「ラッパのマーク」は多くの皆様に愛される当社の顔となっております。

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