広報43年からみるPR40年(協会ニュース 10月号より)

公益社団法人 日本パブリックリレーションズ協会

監事  清水正道

夏真っ盛りのある日、ふと指折り数えると43年もの昔になる、と気が付いた。生命保険会社の人事部員だった私が、1974年初秋の夕方、広報課への内示を受けたのである。

今でこそ、広報の専門家面をしているが、その時は「広報課に流された」と思ったものである。入社面接の時に話した「新聞社や放送局を何社も受けて落ちた」ことなのかな? それとも、ろくに休暇も取らない先輩の中で、一人だけ「規定通りの夏期休暇をとったこと」が響いたのかな? などと、内示の理由を丁寧に説明する係長の話も上の空で、つい2週間ほど前に発生した多摩川水害の光景を思い浮かべているのだった。

「岸辺のアルバム」から社内報の世界へ

水害発生の9月1日午後4時少し前。私は八ヶ岳山麓の民宿の茶の間にいた。到着早々、宿帳を見たご主人が「テレビ、テレビ」と手招きする。堤防のような所から濁流の中に家が流されていく。後年テレビドラマ「岸辺のアルバム」で再現された多摩川水害の現場からの映像だった。実家は多摩川縁から10分ほどの所なので影響はなかったが、この1974年は、新春明けからの電力・石油消費規制やら狂乱物価国会審議、超能力TV番組、小野田寛郎さん帰国、セブン・イレブン1号店開店、三菱重工ビル爆破事件、長嶋茂雄引退、田中内閣退陣など事件連発で、ニュース映像一つひとつでさえ今でも鮮明に思い出せるほどである。

そういう時代に4年弱、社内報編集制作に携わったのは、後から考えると幸せだったように思う。社内報のルポ記事のための全国出張、顧客のタレント・インタビューでNHKのスタジオを訪ねたこともある。そんな仕事生活が始まると「流されたこと」などすぐに忘れ、取材に熱中していた。ただ多少でもノウハウを覚えると、学生時代から念願だった編集者を目指す気持ちがうずき、育ててくれた職場に感謝しつつ、何社目かの中途採用試験をかいくぐり経営雑誌の編集者になった。
銀行合併からリストラ、中小企業経営、米国企業取材まで、夜討ち朝駆けまではいかなくとも、徹夜で青焼き校正を仕上げると、赤坂から新宿3丁目までよく流れたものだ。そして怒濤のような2年半。新婚旅行明けから出社すると机の位置が微妙にずれて、隣の編集部の先輩の机が並んでいた。理由もわからないまま編集長と打合せに入ると、またもや「広報担当」の内示だった。大学をでて6年ほどしか時間は流れていないが、キャリア論からみても大変豊かな経験をさせてもらったと思う。

「社内報」「経営雑誌」から「パブリックリレーションズ」へ

あるときは山道を走るベテラン外交員のクルマの助手席でメモをとり、また合併反対運動のリーダーの家の床の間で質問を重ねたこともある。シリコンバレーの業界団体事務所で、事務長から口角泡を飛ばした日本企業批判を聞かされたこともある。そんな取材者の立場が一転してしまうと、当時の職場同僚や友人達の「広報の常識」が不思議でならなくなる。広報担当マネジャーを3年ほど経験して、ようやくマネジメントのコツがつかめてきた頃、広報とは何なのか?という疑問から出会ったのがカトリップらの著したEffective Public Relations だった。後年、この翻訳をプロデュースし、日本広報学会監修で『体系 パブリックリレーションズ』(ピアソン・エデュケーション、2008年)として刊行した。

日本能率協会広報部長から異動し研究所リサーチャーになって、マーケティングや地方行革、ISOコンサルタントの仕事をしながら、日本広報学会の設立に参加したり、広報コンサルタントの真似事を続けたりしたのは、この本の影響が大きかったと思う。お陰様で大学をリタイアした今日でも、大学生を相手に広報・PRを論じる。
さて大変長くなってしまったが、ここからが本論である。

PRSJの「売り手よし、買い手よし、世間よし」

ここ数ヶ月、監事という立場を意識して、できるだけ広い視点から事業を見るようにしているが、社会人になってから結構立場の違う仕事人生を経験してきた者からすると、いささかの懸念を覚える点がある。
お客様は誰なのか、あるいは顧客を創造できているか、ということである。生意気を申し上げて大変恐縮であるが、(旧制度の下での)社団法人や学校法人で仕事をしてきた経験からみると、顧客に向き合う視野をもっと広げる必要があるのではないかと思う。政府・官邸の施策をみると、近江商人の三方よしではないが「事業サービス」の「売り手よし、買い手よし」だけに止まらず、PRSJにとって「世間とは何か」を検討しつつ、もう少し積極的に創立40周年に向けた「世間よし」を考えていくべき時期が来たのではないかと思う。
2020年4月まで、あと2年半ほどである。
先日ヒアリングで訪れた札幌市の会社の経営政策の第一番目には「PR(パブリックリレーションズ)」と書かれてあった。二番目は「非価格競争力」、そして三番目は「社員共育」だった。PR会社ではなく、純然たる中堅の印刷会社である。障がい者雇用や男女平等参画などで優秀賞を受賞。北海道エクセレントカンパニーでもある。今日訪問した川口市の金属加工業の会社は、従業員31名ながらISO環境活動を進める「環境委員会」があり、「親睦委員会」「品質向上委員会」があり、そして「広報委員会」もある。月刊のPR誌も社内報も刊行し、無論ホームページも手作りで完備。川口市の「元気な企業」にも認定されている。
となると、訪問インタビューをしてみたくなるでしょう?

43年目にして、今年度は社内広報を取材・ヒアリングしてまとめる調査研究作業に、日本広報学会の研究仲間たちと取り組んでいる。しかも従来型の「社内広報」ではなく、企業変革、理念浸透も目途とする「インターナル・コミュニケーション」の体系を明らかにしたいと考えてのことである。

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