最近の企業不祥事に思う

一般財団法人アジア太平洋研究所
代表理事 岩野宏

 

 

またもや、企業の不祥事です。神戸製鋼所に日産自動車、そしてスバルも、とのことです。1枚皮をめくると後から後から出てくるという様相で、日本のモノづくりの誇りはどこへ行ってしまったのか、という気持ちにもなります。しかし、筆者は安全衛生や品質保証の専門家でも、安全規制に深く関わってきた者でもありませんが、ここで一歩立ち止まって、今回の事象で本当に考えなければいけないことは何なのか、ということに思いを馳せてみたいと思います。

今回の件で一番腑に落ちないことは、本件は安全性にかかるルール違反、それも長年にわたりルールを犯してきたにもかかわらず、本件との因果関係が認められる事故や不具合はいまだに報告されていないことです。神戸製鋼所の問題と日産自動車の問題は、片や顧客に対する契約違反、他方法令違反ですので、ルール違反と一括りに論じることは適切ではないかもしれませんが、ルール違反しても安全性に影響が出ない安全のルールとは一体何なのでしょうか?
もちろん、ルールで設定されるレベルと実際に事故が発生するレベルとの間には当然バッファがあり、ルール違反したら直ちに事故となる訳ではないし、あるレベルまでは100%安全で、それを少しでも超えると直ちに事故が起きるという訳でもないので、論理的には、ルール違反により事故や不具合の発生確率は高まっているが、たまたま、これまで現実には問題が起きていないだけ、という解釈になるのでしょう。しかし、それにしても、長年にわたりルール違反していながらそれに伴う事故は起きていない、というのはいささか不自然ではないでしょうか。
ルールが過剰品質だった面もあるでしょう。これは、いかにも日本企業にありがちな話です。また、神戸製鋼所の件はデータの改ざんですから、内容次第で安全に直接影響する問題もあるかもしれませんが、日産自動車の件は安全性を担保する方法に対する違反ですから、直接安全性を揺るがすものではありません。より具体的に申し上げれば、無資格者による検査はルール違反ではありますが、ベテランの無資格者による検査と、新米の資格者による検査と、どちらがより安全か、という点に帰着するような論点もあるのではないでしょうか。

安全第一であることはいうまでもありませんが、何があっても完璧な安全というのは期しがたく、消費者の立場からすれば、一定の安全性が担保されれば、あるいは同レベルの安全性であれば、できるだけ安い方が良い、という側面もあります。今回の不祥事は企業のコンプライアンス違反であることに変わりはなく、その限りにおいて神戸製鋼所や日産自動車が擁護されるものではありませんが、敢えて誤解を恐れずに申し上げれば、安全性が目に見えて損なわれるものでない限り、できるだけコストを削減して安くしてほしい、というのも消費者の本音です。
だから少々ルール違反しても構わない、とは申しません。マスコミも、こうした不祥事を批判し正していくべきです。しかし、社会問題としては、実質的な安全性の議論も見過ごせないのではないでしょうか。この点については、「これまでのところ、実際に安全性に関わる問題は見つかっていません(メデタシ、メデタシ)。」というトーンの報道が多いように感じます。もちろん、安全性に関わる問題が見つかっていないことはメデタシなのですが、そこで終わって良いのでしょうか。いささか不謹慎な表現となりますが、大企業の不祥事はたしかに世間の関心を惹きますので、報道もそこに焦点が当たりがちになります。しかし、違反しても安全性に問題が生じない安全性のルールのあり方にも一石が投じられてしかるべきように思います。
一般の人にとって、安全性の担保はより直接的な影響のある問題です。何となれば、違反しても安全性に影響を及ぼさない安全のルールがあるのであれば、遵守していても安全性が担保されない安全のルールもあるかもしれません。

不正は不正で批判されるべきですが、それと安全性の議論は一緒にすることなく、しっかり分けて、安全性の議論ももっと展開されるべきではないでしょうか。不正を問い質すことはマスコミの重要な役割ですが、一般の人が直ぐには気付かない、その裏に潜む本質的な問題を審らかにしていくことは、それにもまして求められる役割だと思います。また、国民の側も、噂話的な議論に終始することなく、マスコミが提起した論点にしっかり向き合っていくこと、それが、国としての、あるいは国民としての熟度でもありましょう(もちろん、私自身も含めて)。
先に述べたように、神戸製鋼所の問題と、日産自動車の問題は、契約違反か法令違反かという点で違いますし、直接安全性に関わるかもしれないデータの取り扱いの問題か、安全性を担保する方法論の問題かという点でも異なります。過去の類似の不祥事には、このいずれとも異なる事象もあるでしょう。これらを「企業の不祥事」と一括りにして報じてしまうと、逆に問題の本質が覆い隠されてしまうのではないか、という懸念を覚えます。

また、去る11月10日に、神戸製鋼所の社内調査報告書が公表されました。これについても、「まだ原因究明が不十分」といったトーンの報道が多かったように思います。私は専門家ではないので、報告書の内容の妥当性についてここで論じるつもりはありません。不十分な点も多々あるのでしょうが、その指摘までで終わってしまって良いのか、という思いがあります。
混乱状態にある中での社内調査で長年にわたり行われてきた不正の全容を解明することは、表面的な事実関係を把握するだけでも容易ではなく、ましてやその裏に潜む企業文化の問題などを掘り下げていくことは、至難の業だと思います。ひょっとしたら日本のモノづくりの現場を買い被りすぎているかもしれませんが、様々な不正行為の中で、これで事故が起きるかもしれない、と思いつつ不正を働いている事例は決して多くないと思います。「慣れ」で安全性にかかる感覚が鈍っている場合は論外ですが、ここまでは安全上問題ないとキッチリ見極めて、「確信犯」的に違反している事例も少なくないと思います。
もちろん、現場がキッチリ見極めて安全性を担保していればそれで十分ではないか、と主張するつもりは毛頭ありません。現場にそういう力があることは非常に重要だし、誇りでもありますが、それがしっかりルールで担保されることもまた重要です。しかし、一市民、一企業人としては、様々な不祥事を報道してきたマスコミには、日本企業にありがちな企業風土や安全文化、その長所と、一方でその中に巣食う問題をもっと喝破して頂きたい、と期待するところです。

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